歴史的な事実の誤りや脚色、または著者の解釈が議論を呼んでいる『信長と弥助』の著者あとがきを読む。著者がこの本のあとがきに書いていることを読めば、この本の楽しみ方がわかる。

『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』
ロックリー トーマス

「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」はあなたにおすすめ

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「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」とは

トーマス・ロックリー氏が「弥助」という人物をもとにした小説を書こうとして2010年執筆を開始。しかし私生活も本業も忙しくなったので書きかけの小説を放置。2015年小説化というアイデアをボツにし、学術論文にしようと執筆再開。論文にしようと思ったが、長くなりすぎたので書籍化。

著者あとがきを読むかぎり、このような経緯を経て執筆されたのが本書だ。

この本は、16世紀の黒人侍である弥助の物語を描いた歴史フィクションである。弥助は戦国時代の日本で織田信長に仕えた実在の人物であり、その生涯や信長との関係を中心に物語が展開される。

「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」の主な内容

弥助の来日と信長との出会い

弥助はアフリカ出身であり、ヨーロッパ人の宣教師に連れられて日本に来た。日本で異色の存在であった弥助は、織田信長の目に留まり、その勇気と忠誠心から信長に仕えることとなる。

信長との関係

弥助は信長に非常に信頼され、側近として活躍する。二人の間には深い友情が芽生え、弥助は信長の戦略や日常生活に密接に関与する。

本能寺の変

本能寺の変は、織田信長が家臣の明智光秀に裏切られ、襲撃される事件である。弥助もその場に居合わせる。この事件を中心に、弥助がどのように行動し、生き延びたのかが描かれる。

弥助のその後

本能寺の変後の弥助の運命についても描かれている。史実では弥助のその後は不明であるが、物語では彼の新たな旅や冒険が描かれることもある。

評価と批判

この本は、弥助という歴史的にユニークな人物を取り上げ、その人生を想像力豊かに描いている。しかし、以下の点で批判を受けることもある。

  • 歴史的正確性の欠如
    • 事実に基づいていない部分や、過度に脚色されたエピソードが含まれていることがある。特に、本能寺の変後の弥助の行動については、ほとんどが想像に基づいている。
  • 文化的な感受性の欠如
    • 弥助の描写がステレオタイプに陥っていると感じる読者もいる。また、異文化交流の描写が現代の視点から見ると問題視されることがある。
  • 学術的批判
    • 歴史学者や専門家からは、事実に基づかない部分について批判されることがある。特に、弥助の背景や行動についての描写が、当時の社会状況や歴史的背景と合致しない場合がある。

「著者あとがき」からわかること

本を選ぶ際は、目次、あとがき、解説にざっと目を通し、その本の概要を理解することが大切だと言われている。話題になっている本書について、著者があとがきにて実際にどのように語っているのか読んでみた。

執筆の経緯について

私が初めて弥助と出会ったのは、二〇〇九年頃のことだった。それ以来すっかり弥助に夢中になり、二〇一〇年に──彼の逸話を基にした小説を書きはじめた。しかし──残念ながら弥助を題材にした小説は二〇一五年初めまで書きかけのまま放置されることになった。

二〇一五年にほかの仕事がひと段落ついたとき、私は半分お蔵入りとなっていた弥助の件を思い出した。そこで小説化というアイデアはボツにして、弥助の人生に関する学術論文の執筆に取りかかることにした。論文の長さは数千語ほどになるだろうが、やりがいがありそうだと思った。ところが、その長さが一万五千語に達し、論文投稿規程の文字数を五千字オーバーしたところで、弥助には私が考えていた以上に語るべき物語があると気づいた。そんなわけでこの本が生まれることになったのだ。

「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」著者あとがきより

ここまでで、当初小説を書きたくて執筆していたことがわかる。

執筆の難しさについて

執筆はそう簡単にはいかなかった。専門外の内容であり、また資料の数がきわめて少ないうえに、矛盾した記述や不正確な記述にあふれていた。難しい判断に迫られることも、子供の頃にしか使ったことのない想像力を駆使せざるをえないこともあった

「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」著者あとがきより

ここでわかることは、著者は本書で語っている内容の専門家ではないし、参考にした資料は少ない上に、矛盾が多かったため、著者の想像力で補われているということ。

この本の元となる論文を読んだ専門家からの言葉

「君は最大主義者的手法をとっているように思う。同じだけの確率で “ないかもしれない” 場合にも、だいたいにおいて “あるかもしれない” 方を採用している。とはいっても史料が不十分な場合には、そうでもしないと先に進めないだろう」。その言葉は本書のスタンスを端的に表している。

「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」著者あとがきより

ここでわかることは、 “ある” か “ないか” 半々のわからないことは、作者の信じたい “あるかもしれない” 方を採用して書かれていること。

これらが本書「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」のあとがきに書かれていることだ。あまり史料がなかったうえに、足りない情報のほとんどを著者の想像力で補って書かれていることは正直にあとがきに書かれている。

結論・この本の楽しみ方

「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」は、歴史フィクションとして楽しめる作品であり、弥助という興味深い人物を通じて、戦国時代の日本と異文化交流の物語を描いている。しかし、歴史的事実との違いや文化的な感受性については注意が必要である。読者は、フィクションとして楽しみつつ、史実との違いを理解することが重要である。